“入居者主体”の徹底が、介護職に選ばれる職場をつくる。美里ヒルズが実現した理想の介護
2025/06/02

人手不足が深刻化する介護業界で、安定した採用を成功させている三重県津市の特別養護老人ホーム「美里ヒルズ」。
「特養を施設ではなく住まいに」という施設の理念のもと、“良い介護がしたい”と考える介護職員が働きやすい環境を整えてきた結果、「ここで働きたい」という強い意欲を持つ人材が自然と集まる仕組みができ上がっています。
今回は、美里ヒルズの施設長・世古口正臣さんに、採用戦略や組織づくりについて、KAIGO HR FARMを運営する株式会社Blanketの野沢がお話を伺いました。

社会福祉法人弘仁会
特別養護老人ホーム美里ヒルズ施設長
世古口 正臣
特養を施設ではなく人の住まいに、また「良い介護がしたい」を実践できる場所にするため、一斉一律の流れ作業の介護から脱却し、入居者の暮らしを邪魔しない介護ができる現場に改革。昨年、日本ユニットケア推進センター副会長に就任、ユニットケア研修の講師として、また介護福祉士養成校(短大と専門学校)での非常勤講師、介護事業所のサポートをするキャリアコンサルタントとしても活動中。
広報に頼らず、なぜ人が集まる?鍵は“ユニットリーダー研修”にあった
野沢:まずは、特別養護老人ホーム 美里ヒルズについて教えてください。
世古口さん:美里ヒルズは、三重県津市美里町にあるユニット型の特別養護老人ホームです。「特養を施設ではなく住まいに」という理念のもと、入居者がご自宅にいたときと変わらない暮らしを実現できる環境づくりを目指しています。現在、全国に94カ所あるユニットリーダー研修実地研修施設(※1)のひとつとして、当施設は2008年に認定されました。また、「みえ働きやすい介護職場取組宣言」の認定事業所でもあります。

野沢:美里ヒルズがある三重県は、65歳以上が人口に占める割合が30.6%(※2)です。地域の働き手が減少するなか、美里ヒルズでは安定的に採用ができていると伺いました。何か特別な広報活動をしているのでしょうか?
世古口さん:特別なことはしていません。広報に関しては、自分たちができる範囲で行っています。Instagramを活用して施設の雰囲気や大切にしていることを発信し、求人に関しては必要なときにハローワーク、福祉人材センター、コーポレートサイトを通じて募集をします。
オープン当初は認知度が低く、採用活動に苦戦していた時期もありました。しかし、2008年にユニットリーダー研修の実地研修施設に選ばれたことで、全国各地から学生をはじめ、第一線で活躍する介護職員を実習生として受け入れるようになりました。その結果、認知度が格段に向上し、美里ヒルズで実践しているケアの在り方が広まったおかげで、「ここで働きたい」と思ってくれる人材が増えていきましたね。
※1 全国に数千あるとされるユニット型施設の中でも、認定されるのはごく限られた施設のみ。リーダー育成の拠点として、ケアの質や運営体制が高く評価されている。
※2 三重県の高齢化率(令和5年10月1日現在)|三重県
「理想の介護を諦めない」施設づくりを目指し始めた理由
野沢:美里ヒルズのケアの在り方として、「特養を施設ではなく住まいに」を理念に掲げられていますよね。この理念は、職員の採用や定着にどのように影響していると感じていますか?
世古口さん:開設当初の美里ヒルズは、実務経験のある介護職員が中心となってケアの方針を決め、流れ作業のような介護を行っていました。しかし、「理想の介護ができない」との理由で退職してしまう職員も多く、このままでは将来的な人材確保が難しくなると感じていました。

世古口さん:そこで「地域で選ばれる施設」になるために、どういう強みがあると良いかを考えました。美里ヒルズの周辺は、歴史のある法人や大規模な施設などもあり、待遇や条件面では競争が難しい。ならば、働く介護職員にとって「理想の介護を実現できる」と思える施設であることを強みにしようと決めました。
ちょうどその頃、私がユニットリーダー研修に参加し、入居者主体のユニットケアを実践する施設運営に触れる機会があったんです。そこでは職員都合や効率重視ではなく、入居者一人ひとりに寄り添ったケアを提供する施設運営が実現されていて、「こういう介護ができるのか!」と感銘を受けました。そうした施設を見れたことで、私たちも、入居者主体で入居者の暮らしを実現できる施設づくりを目指そうと決意しましたね。

じっくり寄り添う「入居者主体のケア」が職員の働きやすさに
野沢:入居者が施設に来る前の生活を、入居してからも続けられることを第一に日々のケアや支援を行っていると伺いました。しかし、入居者それぞれの暮らしのスタイルに合わせるケアを行うと、現場の職員の負担が増え、慌ただしくなってしまう印象があります。どのように現場づくりをしているのでしょうか。
世古口さん:それが、実はそうではないんです。ユニットリーダー研修の実習施設として日々多くの実習生を受け入れていますが、外部の方が一番驚かれるのは職員の動き方や時間の流れです。美里ヒルズには、一斉の起床ケアや食事といった一律の業務日課はありません。そのため、時間に追われることなく、入居者一人ひとりの生活にじっくり寄り添うことができるんです。

世古口さん:起床や食事、睡眠などの生活サイクルは入居者によって異なりますが、一方で一人ひとりの生活サイクルを把握すると、自ずと職員の1日の流れが定まります。当施設では、職員1人が約10人の入居者を担当する配置をとっており、担当範囲を狭めることで、その範囲内であれば何か想定外のことが起きても柔軟に対応することができるんですね。
こうした「入居者主体のケア」の実践が、結果として職員にとっても働きやすい環境づくりにつながり、「この施設で働きたい」と思う人材を引きつける要因になっているのだと思います。
野沢:なるほど。決められた業務がないことで職員の負担が増えるのかと思いましたが、逆に働きやすさに繋がっているんですね。
世古口さん:職員が快適に働ける環境は、入居者が穏やかに1日を過ごせる環境と表裏一体だと考えています。働きやすい職場を作ろうとしたときに、職員にとって都合の良い環境を作ってしまうと、作業効率を重視したり、入居者をコントロールしようとしたりしてしまう。これが入居者からは制限の多く自由がない、居心地の悪い場所になってしまう。
きっと入居者のみなさんも、そんな場所にはいたくないと感じると思います。とくに認知症の方は、それで混乱したり不安になったりする。穏やかでいられない状況になることもあるのではないでしょうか。
入居者のみなさんが穏やかに安心して暮らせる場を作ることが、結果的に職員にとっても働きやすい職場環境を作ることにも繋がる。そうした考えのもと、入居者を第一に考えた現場づくりを行っています。
マニュアルは“良い介護”の判断軸、職員と作り上げる共通言語
野沢:職員の方は理念への共感が高い方が多いと思いますが、定着という視点では、現場と理念とのブレをいかに減らすかも重要に思います。具体的な仕組みや取り組みはありますか?
世古口さん:例えば日々の業務で理念を実践できるよう、「ケア方針兼教育マニュアル」というのを作成しています。これは約7ページほどの冊子で、「暮らしの場」として職員がどのように振る舞うべきかを明確に言語化しています。例えば、起床ケアの進め方や食事介助の仕方、排泄支援での入居者の尊厳を傷つけないための声掛け、その後のアフターケアなどを記しています。
野沢:かなり細かく作り込まれていますね。
世古口さん:それは、理念である「私が暮らしたい施設を作ると共に、私が使いたいサービスを提供する」を実現するためです。介護現場でよくある課題の1つに、“良い介護”が職員ごとに異なり、属人化してしまうことがありますよね。どの職員も“良い介護”を目指しているにも関わらず、施設としての定義が曖昧なため、判断が職員個々に委ねられ、意見の食い違いが生じることもある。
野沢:「Aさんが言ったことと、Bさんが言ったことが違う」というケースですね。
世古口さん:はい。美里ヒルズでは、施設としての“良い介護”の在り方をケア方針兼教育マニュアルで明確に示しているため、職員間の共通言語がある状態です。ケア方針兼教育マニュアルは、“良い介護”の判断軸であり、行動理念であり、行動指針としても機能しています。
もちろん、「必ずこの通りにしなければならない」というルールブックでも、単なる手順書でもないため、実際のケアの場面で「もっとこうしたら良いのではないか」と職員から提案が出ることもありますし、「これは職員都合だから辞めよう」といった議論も日常的に行われています。こうして、日々アップデートを重ねながら、本当の意味での「暮らしの場」を作っています。
“採用しない決断”が、職員が疲弊しない職場をつくる
野沢:「理念はあるが、現場に浸透しない」という悩みを持つ介護事業所も多いですが、美里ヒルズは、常に理念を起点にして職員の価値観や、日々のケアの在り方を醸成していることが伝わってきます。

世古口さん:私たちが採用基準として最も重視しているのは「理念に共感し、実践できる人かどうか」です。すべてのスタートとなる理念への共感がなければ、それに紐づく価値観やケアの在り方とも合わず、結果的にミスマッチが起きてしまいます。
先ほどもお話したように、私たちの施設運営は業界全体で考えると一般的ではないため、「大変そうだ」と感じる方もいるかもしれません。だとすると、美里ヒルズとは合わない可能性が高いですよね。
野沢:だからこそ、採用の段階で慎重に見極めることが重要なのですね。
世古口さん:はい。例え人手が足りない状況でも、適性がないかもと判断に迷う人であれば「何とかしよう」と無理に採用することはしません。応募が求人枠を超えたとしても、一人ひとりをしっかり見極め、必要に応じて採用枠を減らすこともあります。
過去には、予定していた採用枠を下回る人数しか採用しなかったこともありました。美里ヒルズは職員たちに理念が浸透しているからこそ、ミスマッチな人を採用すると、かえって現場が疲弊してしまうんです。

野沢:「人手が足りないから採用する」のではなく、「理念に共感する人だけを採用する」という姿勢が、結果的に職場の安定につながっていると。
世古口さん:介護業界は決して人材が潤沢なわけではないので、応募してくれた方を採用したくなる気持ちはとても分かります。ですが、理念の共感なくして、理念の実現はありません。
幸いなことに、現場の職員たちも「同じ志を持った人と働きたい」と思ってくれているので、人手が不足しても「よい人材が来てくれるはず」と、組織全体で前向きに対応することができます。「入居者を第一に考えたケアを提供したい」という思いが共有されているからこそ、働きがいのある職場にもなっていると思いますね。
一人ひとりに寄り添える風土が、職員のやりがいを育む
野沢:美里ヒルズの施設づくりは一朝一夕で実現できるものではなく、日々の積み重ねがあってこその結果だと思います。採用や定着に課題を抱える施設が多い中で、もし、世古口さんが今同じ状況にあるとしたら、まず何から始めますか?
世古口さん:まずは排泄ケアの見直しから始めてみるのはどうでしょうか。
入居者主体のケアを徹底することが、職員の働きやすさにもつながると考えているので、個別の排泄ケアをおろそかにすることは、全体に悪影響を及ぼすことになると思っています。
例えば、排泄ケアに十分な配慮が行き届いていない状況では、おむつの定時交換、トイレにお誘いしてみるということをしなくなります。漏れないように大きめのおむつや尿取りパッドを選定するようになります。いかに効率よく漏れないように「おむつ交換」できるかが関心ごとになり、「行きたいときにトイレに行きたい」や「可能な限りトイレでしたい」という入居者さんのニーズに応えようとすることに関心が向かなくなります。それは手間がかかることだからです。
そして、それに合わせて食事や消灯の時間も逆算されて、入居者さんの生活のスケジュールが固定化されていきます。本来、入居者の生活リズムは、一人ひとり異なるはずです。それぞれの時間に合わせて排泄や寝起きを手伝うのではなく、私たち職員の仕事のスケジュールに合わせて入居者が生活をすることになり、その人らしい“暮らし”が損なわれ、入居者主体の介護は行えません。つまり、職員の理想の介護から遠のきます。

世古口さん:介護は「誰にでもできる」と言われることがありますが、私はそうは思いません。ただ後始末するだけのお世話であれば、誰でもできる……と思われてしまうかもしれませんが、私たち介護職が行う排泄ケアには、単なるお世話ではなく専門的な知識と技術が必要です。
例えば、尿意のない方や排泄の感覚がわからない方を、その人にとってちょうどいいタイミングでトイレに誘導し、気持ちよくトイレで排泄できるように支援する。できるだけ最期までトイレでの排泄を諦めないでいられることができるのは、介護職がいるからです。
それぞれの排泄のデータを元にした根拠と、その日の食事や飲み物の状況、そのときの様子を総合的に見て、適切なタイミングを判断する。介護における排泄ケアは、入居者の尊厳を守り、無理のない範囲で可能な限り最期までトイレでの排泄を保証することだといえるのではないでしょうか。
排泄以外にも、食事や起床といった部分で「入居者一人ひとりに合った支援を行う」と考えられるような土壌づくりが、入居者が自分らしく暮らすことや生きがいを支援することにつながり、ひいてはそれが職員のやりがいにもつながってくると考えています。
入居者はもっと自由に暮らしていいし、それを支えるための職員ももっと自由でいい。もちろん人手不足や限られた予算がありますが、そのうえで大切なのは施設としての理念を明確にし、経営層だけでなく現場と共有し、共に歩んでいくことだと私は思います。
(文/田邉なつほ、編集/Ayaka Toba)
【美里ヒルズについて】
社会福祉法人弘仁会 特別養護老人ホーム美里ヒルズ
所在地:〒514-2113 三重県津市美里町三郷430番地
URL:https://www.misatohills.jp/
Instagram:@misatohills